「見なさい。耐え忍んだ人たちは幸いであると、私たちは考えます。
…主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられる方だということです。」
―ヤコブの手紙5:11―
首都圏に暮らす私たちは、この度の震災による被災地の惨状を見て、想像を絶する苦しみの中にあろう人々のことに思いを注いでいます。何かをしたくてもできない。そのようなもどかしさを覚えている方もあろうかと思います。
そして、かの地と比較すれば平穏な場での生活ですが、それでも私たちには不安があります。ガソリンや食料がかつての平常時とは違って、容易に手に入りません。これだけでも私たちは多少なりとも不安になります。ひとりの小さな不安が、ひとつひとつ集って大きくなって力が増していくのだと、私たちは店頭から品物がすっかりなくなることで、はっきりと知らされています。
私たちは、平穏な中でも、自分の小さな不安を十分にコントロールできません。不安をなだめて、落ち着くことはとても難しいことなのです。私たちの生活において、不安と戦うことが常にあるからこそ、聖書はそのことに「耐え忍んだ人たちは幸い」だと言います。
聖書の中心的なメッセージのひとつは「あわれみ豊かな神は生きており、信頼する人々に恵みを与えてくださる」ということです。どんな状況の中でも、神のあわれみを期待して生きるように、と神は語り続けます。
私たちの不安は、私たちの内側に潜んでいるように思います。しかし、期待すべき恵みは外から来るのです。神から来ます。自分の内側ばかり見つめて行き詰まるとき、そんな自分をあわれむ神へと期待して頂きたいと思います。忍耐しながら、期待するということもあります。人間の万策尽きても、あわれみによって助けを与える神を知るゆえに、信仰者はその神に祈ることをやめません。そのような期待の仕方を知って頂きたいのです。
不安と戦っている方々がいますなら、どうぞ、不安を踏み越えて、外からのあわれみに期待して頂きたいのです。冒頭の聖書の言葉を信じて期待することで、外から来る平安を得て頂きたいのです。